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幼稚園児の私は場面/選択性緘黙(かんもく)だったのかも…治療はしなかったけど、今は普通に結婚も仕事も

2018/02/01
 

こんにちは、人見知りの薫です!

皆さん、緘黙症(かんもくしょう)という病気を知っていますか?人前で話したいけど話せなくなってしまう不安障害の一種です。

私は幼稚園の頃と小学校の入学当初は今思うとこの緘黙症だったんじゃないかな…と思います。私は幼い頃だけでしたが、大人になるまでずっともしくは大人になってから発症する場合もあります。

クラスにいるあの子、一言も喋らなくて感じ悪い…。それもしかしたら緘黙症かもしれません。本人は話したいんですが話せないんです。なかなか理解されないと思いますが。

そんなクラスの喋らないあの子や緘黙症のお子さんを持っているご家族の方がクラスメイトやお子さんの心を少しでも理解してあげられる手助けになれないかな、なんて考えました。

というわけで今回は、おそらく場面緘黙症だったであろう私が小さかった頃のお話させていただきますね。

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場面/選択性緘黙(かんもく)って?

そもそも緘黙とは何かということですが…

言語能力を獲得しているにもかかわらず、何らかの心理的要因によって、一時期にあらゆる場面、あるいは特定の場面においてのみ、言葉を発しない状態を指す。教育臨床分野においては、暗黙に狭義の意味で用いられることが多く、場面緘黙、選択性緘黙、などの呼び方をする 。

引用元ーWikipedia

その中でも場面(もしくは選択性)緘黙はある特定の場面や状況で言葉を発しない状態のことですね。

私の場合は家では普通に話せますし、特定のお友達や先生とは話せましたが、それ以外の人たちとは全く口をきかなかったです。そして、先生に「○○しましょうね~」と言われても何もしない子でした。

幼稚園の頃は何も話さない何もしない子だった私

上記でも少しお話しましたが、私は幼稚園の時は特定のお友達や先生以外とは話しません(正確には話したくても話せない)でした。

私は幼稚園を転園しています。転園前も転園後もどちらも特定の人以外とは話せませんでしたし、皆がお着替えや工作をしている中、私一人だけ何もせずにボーっとしてました。

あまりにも何もしないので有名でしたよ。私の母が他のお母さんに「薫の母です。」と言うと、「あ~、知ってる。あの何もしない子?」と言われて恥ずかしい思いをしたと大人になってから聞きました。もうちょっと言い方ってもんがあると思うんですけどね…。

でもまぁ、そりゃ恥ずかしいでしょうよ、自分の子が何も話さない、しないなんて…アホか知恵足らずに思われてたでしょうね。今も変わらずアホはアホですけど。

着替えないのは明確な理由があった

お着替えしなかったことだけは明確に私の中で理由がありました。それは「恥ずかしい」から。

お友達(特に男の子)の前でお着替えをするのは恥ずかしかったし、ものすごい苦痛でした。普通の幼稚園児が人前でお着替えすることをどう思っているのかは私には今でも分かりません。

しかし私はいつも心の中で「人前でお洋服脱いで恥ずかしくないのかしら。」「どういう神経してるんだろう。」と思っていました。

子供らしくなかったといえば子供らしくなかったですね。

自閉症と診断されそうになった

私自身はこのことをよく覚えていません。母が後から話してくれた話になります。

幼稚園での集団検診で私がお医者さんの質問に何も答えないので、お医者さんが「この子は全く喋らないね…自閉症かな…。」と診断しようとしたらしいです。その時、様子を見ていた担任の先生が飛んできて「大丈夫です。この子、私とは話しますから。」とフォローしてくれたとのこと。

あの時、先生が何も言わずに黙って見ていたら、私は自閉症として小学校の特別クラス等に入っていたかもしれません。あの時は小さくて何もわからずお礼も言えなかったけど今なら「ありがとうございました。」とお礼を言いたいですね。

参観日にも何もできなかった

幼稚園って母親参観や父兄参観がありますよね。お父さんやお母さんと楽しく何かを作る…子供の成長が見れるいい機会…そんな場面でも私は何も話せず、何も出来ませんでした。

父には叩かれた

転園前の幼稚園で初めての父兄参観、父が見に来ました。

この日は工作するという日だったと思います。先生が「お道具箱持ってきましょうね。」と言うと他の子たちは「はーい!」と言って自分のお道具箱をクラスの後ろにある棚に取りに行きます。当然の行動ですね。

しかし私はと言うと、自分の席でジーッとしてお道具箱を取りに行く様子は全くありませんでした。

何もしない私に恥ずかしい気持ちと苛立ちがあったんでしょうね。その時、父に頭を叩かれて舌打ちされた記憶があります。それ以来、父は父兄参観には一切参加してくれなくなりました。

私は本当は動きたいけど、何だか怖くて動けなかったんです。だから何故叩かれなきゃいけなかったのかも分からなかったですし「何で叩かれなきゃいけないんだろう…。」ととても悲しい気持ちになったのはハッキリと覚えてます。

今でも父のことは苦手です。まぁ、苦手な理由はこの時叩かれたからだけではないですが。

関連記事:両親の夫婦仲が悪いと子供は悲しいし複雑…良い影響はない

母は話すことや何かすることを無理強いしなかった

母親参観の時も私は父兄参観の時と同じ状態でした。

しかし、母は父とは違い怒ったりはしませんでした。

一緒に工作を手伝ったりしてはくれましたが「何で他の事同じようにできないの。」とか「あんたみたいな子で恥ずかしい。何かしゃべりなさい。」などと言われたことはありません。(後々、恥ずかしかったという告白は受けましたが…ごめんね、お母さん)

この時、母にも責め立てられるような行動や発言をされていたとしたら、私は更に自分の殻の中に閉じこもっていたと思います。本当にありがとう、お母さん。

小学生になってからはすこしづつ緩和

小学生になって、初めての体育の授業。ここでも私は何も話さない、何もしない私ぶりを発揮しました。皆、当然のことながら体操着に着替えます。

そして相も変わらず無言で着替えない私…。この時の担任の先生、こんな子は初めてだったらしいのですが、叱ったりせずにお着替えを手伝ってくれました。このまま、何も出来ないまま幼稚園の時と同じように小学校生活が終わるのか…?

しかし、小学生になってからこの緘黙のような症状は少しづつ緩和されていきました。特に治療やカウンセリングなどは受けていません。

きっかけは…何だったでしょう。小学校に入ってから初めて図書室という場所に連れていかれました。最初のうちはいつもと同じように自分で本を取るのが怖くて図書室の端で何もしないままでした。

それでも先生は「自分の好きな本、取って読んで良いからね。」と根気強く話しかけてくれました。恐る恐る自分が面白そうだな、と思った本を手に取ってページをめくったのが最初の本当に小さなきっかけだったと思います。

それから、少しづつではありますが「自分も何か行動して良いんだ。」という自信みたいなものが芽生えていった気がします。

この時、良かったのは「ちゃんと本取って読みなさい!」という強要ではなく「読んで良いよ。」という許可だったからだと思います。本当に人に恵まれましたね、私は。

人見知りは中学くらいまで続いた

緘黙のように全く話さないことはなくなりましたが、やっぱり人見知りは人見知りでした。

特に男の子とはあまり喋らなかったので、近所の男の子が私が妹と話しているのを見て「ねぇ、薫ちゃんが喋ったよ!?」とその子の母親に言っていたのを知った時には、なんだか笑えましたね。

あ~、私は人語を喋れない猿くらいに思われてたのかな?って(笑)

原因は自分でも分からない

特定の人以外と話せなかった、何もしなかった原因は私自身も分かりません。

でも、物心ついたころから「こんなこと話したら馬鹿にされたり、笑われるんじゃないか。」「私はこの世に存在しちゃいけない気がする…だから何もしちゃいけないんだ。」という漠然とした恐怖や不安があったことは覚えています。

そして、言葉を発しようとしても言葉が喉で詰まったみたいに声が出ず、恐怖感で泣きそうになる感じ…多分体験してみないと分からない感覚だと思います。今でも極度に緊張する場面(面接など)で極々たまーにですが、声が震えたり、泣きそうになる時はあります。

本人も分からない不安感や恐怖に対して「どうして話せないの?(できないの?)」と言うことは、その不安感や恐怖を更に増幅させかねません。「私っておかしいのかな?」と自信も失わせます。絶対にそういった言葉をかけないであげてほしい、というのが私からのお願いです。

今は人見知りながらも普通に生活してます

そして、現在の私はというと、普通の人よりは人見知りかな?とは思いますが普通に生活しています。それに人見知りも歳を重ねるにつれて緩和(図々しく?)されていっているかな、といった感じですね。

結婚相手も婚活をして自分で見つけてきました。2017年には子供も生まれて育児も普通にできています。児童館などに行っても、他のお母さんと話も普通にできてる(…と私は思ってます)かと。

中学のクラスメイトも場面緘黙だったのかも

中学のクラスメイトにも場面緘黙なのかな?と思う子が一人いました。

中学3年生の時、その子はクラスの自分の机でジーッとしてたし、出席番号も近かったので話しかけてみたのですが…。彼女はコクンと頷くか首を横に振るだけで話してはくれませんでした。

以前、彼女と同じクラスだった友人に話を聞くと「あぁ、私たちもお昼何度か誘ったんだけど、全然話さないから、いつのまにか誘わなくなって1人でお弁当食べてたよ。」とのこと。

他人事だと思えなかったのと、1人で食べるお弁当なんて美味しくないんじゃないかな?という気持ちから私は毎日彼女に「購買の隣のテーブルでお昼ご飯食べてるから、良かったら来てね。」って言ってました。

もしかしたら、構われたくなくて1人が好きなら迷惑な話だし…と思い、強制じゃなくて良かったらっていう感じで誘ってましたね。

で、毎日ちゃんと彼女は私たちがお昼を食べている場所に律儀に来て一緒にお弁当食べてくれました(義理かもわからんですけど)。それでもまぁ、相変わらず話してはくれず。

こうなるともう壁に話しかけてる感じなんですけど、一応毎日来てくれてるし、頷いたりの反応はありました。なので毎日お昼の時は「○○さんは○○なの?」ってイエス(頷き)かノー(首振り)で答えられる質問ばかり一方的にしてた記憶が…迷惑だったかな?(笑)。

でも、もう中学生活もあと1,2か月くらいかなっていう頃に、移動教室とかで一緒に歩いていると彼女の方からポツリポツリと言葉を発してくれるようになったんですよね。

なんか、その時はすごく嬉しかった思い出があります。心を少しだけ開いてくれた感じがして。

過去の自分は場面緘黙だったと思う。そして緘黙症児の親御さんはちゃんとカウンセリングや治療を受けさせてあげてください。

幼稚園の頃の私は明らかに他の普通の子達とは違いました。

私が小さかった頃は現在のように緘黙の症状は障害という認識はあまり無く、ただの人見知りな子という扱いだったかと思います。なので、私の両親も治療やカウンセリングなどはする必要はない、というよりそういった知識もなかったでしょうね。

しかし、今は昔の私のような症状は治療やカウンセリングなどが必要という認識です。私も今のその考えには賛成です。正直言って、私が緘黙のような症状が治って普通に暮らせているのは周りの大人に恵まれていた、運が良かっただけだと思います。

以前、NHKでも放送されていましたが、大人になっても緘黙の症状が治らずに生きづらさを抱えている人はいます。

今は治療やカウンセリングを行ってくれる場所もしっかりあります。あれ?この子もしかして?と思ったら、地域の支援センターやクリニックに一度足を運んでみてください。思い違いや勘違いだったらそれはそれで良いじゃないですか。

あと、緘黙症は障害でもあるかもしれませんが、同時にその子の個性でもあると考えて決して責め立てたり急かしたりしないでほしいな、と思います。心の問題と言うのは時間をかけて少しずつ緩和していきます。そして、何がきっかけで好転していくかも分かりません。

私が図書室で初めて自分で本を手に取った時のように大人からすると「そんなことで?」っていうことで少しずつ自信が芽生えて好転していく場合もあります。じっくり時間をかけてその子と向き合ってほしいな、と心から願います。

あとは、親御さんだけではなくて保育士さんや教員の方など子供の指導にあたる方たちにも良く知ってもらいたいですね。

上に書いた中学のクラスメイトは英会話の先生に「なんで話さないのよ!」と怒鳴られて萎縮していたので…。私は先生に恵まれましたが、彼女のように傷つく言葉や不安・恐怖を増幅させるような言葉を受けた人も少なからずいるんではないかな、と。

いずれにせよ、私のような子たちが普通に社会に出て暮らせるようになって欲しいですね。

 

 

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